ブログ(心について2)

2年前、心の中で起こったこと

 

コーチング知識と技術を習得する間、私の心の中で何が起こったのかを述べたいと思います。

幸せな幼少期を過ごしました。
衣食住何不自由なく両親が与えてくれ、習い事も自由にさせてもらいました。親は大学受験に失敗したときは浪人までさせてくれて、合格後は大学卒業まで学費を払ってくれました。
その後は「コーチご挨拶」で述べたとおり、英語コツコツガツガツ人生でした。
いつも目標を掲げ、目標達成まで歯を食いしばって頑張る。そして掲げた目標はすべて達成。
それが当たり前だと思っていました。
人はそうやって生きていくもの、生きていくべきだと思っていました。

それが違う?

と考えさせられたのが「自分ブランド革命プロジェクト」に参加していたときでした。48歳の時です。

え?私の、人はそうあるべきだという思いは、私だけの思い込み?信念? なんじゃそれ!

思い込みは人によって違う
人の思い込みは12歳までに形成され、それ以降、人は思い込みの強化活動に入る
人は思い込みのメガネで世界をみている」(自分ブランド革命プロジェクトより)

プロジェクトに参加するとすぐに壁が立ちはだかりました。

 

第1の壁:フェイスブックで意見を言うことへの大抵抗!

コーチング技術さえ習得できればいいのに、なぜ独り言を公開しなければならない!ばかばかしい。私には必要ない。

そうこうしているうちに次第に、フェイスブックに名前を名乗るだけでもいい、みんな参加しようよという声が上がり始めました。

うるさいな~・・・

するとトレーナーが講座のなかで、「人の在り方にはいくつかある。一つ目は傍観者、二つ目は・・・」

ぎくーっ・・・傍観者とは私のこと!

わかりました。仕方ない、やってみるかぁ・・・

フェイスブックで初めて、自分の名前と、プロジェクトに参加している理由(コーチング技術を習得したい)、
おまけとして息子にもコーチングめいたことをしたら怒らなくてすむようになり、実に省エネ!という報告をしてみました。

すると何人かから反応が。
「へ~、息子さんに~! しかもコーチングって省エネなんですか~!」

不思議な感じでした。自分の独り言に人が反応してくれている。

すると今度は「課題図書が多すぎて期限内に最後まで読めそうにありません」という声が上がり始めました。

ふーん・・・

また傍観者でいようと思いました。

すると心の声。
「書け!」

ええええ~ なんで~?

潜在意識と顕在意識のせめぎあい。

結局、潜在意識の声に負けて、また渋々重い腰をあげ、「読書について」書いてみました。

「読書は慣れです。時間をかければ自分なりの読み方ができます。
私は英語講師なので、英語学習者の例をあげます。英語に慣れていない初級英語学習者はすべて全力で行うためすぐに息切れ。
でも上級者は要領よく理解していく。わかっているところにはムダにエネルギーを使わない。
その分、使うべきところにエネルギーを使う。だから疲れない・・・これと似ていると思います。
読書してこなかった人がいきなり読書の達人になろうと思ってもなれません。
提案として、まずは太字だけ読んでみるというのはどうでしょうか・・・」

これはかなりの反響でした。
「ありがとう!」「はい、由美子さんの言ったことをここでまとめます」などなど

プロジェクトが提唱する「枠越え」の瞬間でした。

勇気を振り絞って心の安全領域から出た結果、待っていたのは恐ろしい現実ではなく、明るく楽しいものでした。

さらに、書くことで、自分の中からの意外な声を聞くことができました。意識したことのない声、つまり無意識の声。

 

第2の壁:メンバーに「まくしたて」「マシンガントーク」と言われ、勉強会にしばらく不参加

早口で自分の主張を述べる、いいじゃないか、みんなの貴重な時間をとらないんだから!
なぜそんな風に言われなければいけない!いじめか!
グループが大きすぎて、まるで小学校!うんざり!

でもここでも考えさせられました。過去を遡ってみると、なるほど早口で語らないと安心できない理由がありました。
小学校低学年のときに、ゆっくり話していたら親友につまらなそうな態度をとられ、話を最後まで聞いてもらえませんでした。
ここで早く話さなければだめなんだいう思い込みが成立。以降、早口で話すことに心地よさを感じ、強化活動邁進。 

グループが大きすぎた問題については、NLPの学びで気づきました。
私は全体型ではなく、詳細型でした。話は詳細に話したい。交友関係は狭く、深く、それが心地いい。


壁のあとに待っていたのは大革命!

知人とファーストセッションを行っていたところ、どうもスムーズに進まない。
相手が私の言うことを聞かない。「頭で考えないで、思いついたまま言ってください」と言ってもじっくり考えている。
そしてしまいには、あらぬ方向を見始める知人。あきらかに飽きている様子でした。
最後に商品を説明したところ、当然「必要ありません!」とピシャリと言われ、終了。

セッション後いろいろ考えました。一体あれは何だったのか。何がいけなかったのか。

しかし理屈よりも前に、居心地の悪い感情が先行して、答えになかなかたどり着けませんでした。

これは思い切って聞くしかない!

相手の方にメールで、「本当は~だったんじゃないんですか?」など、いくつか質問を投げかけたところ

返ってきた答えは

「いいえ、あれで合っていました」「いいえ、あれで正しかったです」

こちらの意見を全部否定する内容でした。

ショックでした。いったんメールを閉じて、遠くを眺めてみました。そしてまたぐるぐる考えを巡らしました。

すると突然

ああああああ・・・
 

これぜんぶ私だ!

 

人は自分の鑑
自分の中にあるから相手の中のそれに気づく。
自分の中にないものはたとえ相手の中にあっても絶対気づかない。(
自分ブランド革命プロジェクトより)

 

自分がいつでも正しい。
人には自分の正しさを証明しないと気が済まない。
自分にNOを突き付ける人とは付き合わない。
人の粗探しをして自分をその人よりも上に置かないと気が済まない。
自分が上にならないのならその人とは付き合わない。

自分のこれまでの思い込みが見えた瞬間でした。 

そして

思い込み完全消滅。

何十年もしがみついてきた思い込みが
いつも一緒で当たり前すぎて意識すらしたことがなかった信念が

なくなっちゃった

なんだこれ?

 

シーン・・・

 

まずい。大切なものまで失くなってしまったか!

・・・

うん? 軽い・・・ 

軽い!軽いぞ~~~~! 

 

そして数日後

私にとって最初のクライアント様になる方とのファーストセッション。
スムーズでした。相手の方はこちらの指示に素直に従ってくださいました。信頼関係ができていることを感じました。
最後に、商品の良さについて熱弁。無我夢中でした。

「やります!」

え?

あまりにも熱くなりすぎて、最初は何が起こったのかわかりませんでした。

「やります!」

あ、ああそうですか。 
お、おめでとうございます!!!

契約の運びになりました。一体何が起こったのでしょうか。

理由の一つとして、この方への私の見方がまったく変わったからというのは断言できます。
ファーストセッション前は、私はこの方に対して緊張をしていました。
すでにビジネスで独立され、成功。順風満帆の人生を歩まれていました。
雇われの私からしたら未知の世界で、すごい!という畏怖の念しかありませんでした。
完全に安全領域の外の人。

それが、信念消滅後は、この方が愛に溢れた方に見えました。
これまでの畏怖や緊張の思いはどこかへ消えていました。


信念が崩壊し、空っぽの心に入ってきたもの

それは 
 でした。

私に愛があるから、その方の愛に気付けた。

 

信念が変われば、感情が変わり、行動が変わり、成果を達成できる(自分ブランド革命プロジェクトより)

目の前の現実は自分の信念メガネで見ているもの。
信念メガネがバージョンアップすれば、現実もバージョンアップする。
現実をバージョンアップさせたければ、信念を変える。


これまで自分の中に愛があるなんて考えたことはありませんでした。それがひょっこり出てきました。
その後、感情が変わり、行動も変わってきているのを実感しています。
成果は、ここでこれを書けていること。以前の私だったらありえませんでした。

50歳を目前にして、たどり着けた境地。
今、明るく、賑やかで、軽くて、温かい気持ちに満たされています。

コーチングの世界に終わりはありません。

多くのクライアント様と接することでコーチ自身が成長していきます。

これからどのような出会いがあるのか、今後のご縁にワクワクしています。

 

おまけ:心の状態が良いからか、最近シンクロが頻繁に起こります。
これ○○さんに聞こうかなと思ったら、翌日に○○さん本人から電話をもらったり、
そろそろ姪の高校入試の結果が出るころかな、私のときは3月6日だったなあ、と思って実家に帰ると
「今日合格したんだって」と言われたりとか・・・

 

2023年4月

ここ1か月おかしい


人生の転換点(精神的に成長するとき)に何が起きるのか。

[ここ1か月自分に起きたこと]
1 厄介事を引き受ける
2 今まで感じたことのない気持ちを味わう
3 異常事態が頻発する
4 引き寄せのタイミングが早くなる
 
1 厄介事を引き受ける
所属事務所からいただいた案件、読解コース。たった10回のコースなのに、半分くらいやって嫌で嫌でたまらなくなり、自分の中で発狂寸前。やめようかなと真剣に悩んだが、なんとか最後までやってみた。
2 今までに感じたことのない気持ちを味わう
英語講師歴15年。グループレッスンは熱意をもって何度となくこなしてきたのに今回嫌でたまらなくなる。いろいろ理由を考えてみたが、これといったものは見つからない。おそらくこれまで抑え込んできた小さな違和感の数々が噴出したのだと思う。例えば生徒は超真面目だがおもしろみに欠ける、生徒の英語に対する思いと私の英語に対する煮えたぎる思いの温度感のすさまじい違い、人事課がレッスンをずーーっと監視している、レッスン後毎回自分の発言が人事課の求めるものと合っていたのか、合っていなかったような・・・とくらーいきもちになるなど。
3 異常事態頻発
3-1 家の敷地内に土の山が2か所できる。平らにならせどもまた、そしてまた。家の前をたまに資材を運んだダンプカーが通るため、その人たちがやったのか・・と不安になり警察に連絡。最後近所の人に相談した結果、モグラのしわざかなと落ち着く。現場に石を置いたところ山が出現することはなくなる。
3-2 旅行に出て、スーツケースを旅館に忘れる。旅館には着払いで自宅に送ってもらった。原因は家族間のミスコミュニケーション。こんなこと初めて。
3-3 トイレのドアが傾く。 レールのネジをしめたら、元通り。
3-4 財布につけた鈴の音が鈍く響く。思いっきり振ってみると元の音に戻る。鈴は毎年新しいものを神社でいただいており、今年で11年目になるが、こんなことは初めて。
3-5 包丁で指を切る
3-6 サンダルが壊れる
4 引き寄せのタイミングが早くなる
4-1 緑茶がなくなるな~と昼に思ったら、夕方ママ友から粉末の狭山茶をいただく(茶葉がほしかったんだけどな~)
4-2 メルカリで出品しているものが売れないかなと思ったら、翌日、別のものが売れる。これじゃなかったんだけどな~
4-3 次に事務局から英語講師案件が来たタイミングで「グループ講師はもう辞退させてください、今後は個人レッスンを紹介してください」、と言おうと思っていたら、2、3日後に別の案件がくる(1か月以上先で想定していた)。
4-4 事務局に個人レッスンでお願いしますと言うと翌日個人レッスンの案件がくる(これも2~3か月先を想定、またはこなくてもいいと思っていた)
あまりにもいろいろなことが起こるため、潜在意識の本や動画で調べてみると、
どうもこれは精神的に大きく成長しようとしている時に起こる当たり前の現象なのだそう。
確かに意識が変われば、自分が発している波動が変わり、これまでとは違ったものを引き寄せる。
対処法としては、
 
うまく乗り切ってください
とのこと。
 
ずこーっ!(具体策はないんかい!)

 

2023年8月

戦わない

 

仕事がなくゆったりすると、心もゆったりしてきて、いろいろな気づきを得ることができる。

今日も猛暑になると天気予報で聞いていたが、庭がくさむらになってきたので草取りを決行。
2時間、滝のような汗を流しながら草と向き合ってみた。

家を建てて11年。11年間草と格闘してきた。
そして今年は草取りのやり方を変えた。
根から抜かず、地上1センチくらいのところから鎌で刈るようにした。
すると、以前よりも早く草ぼうぼうになった。
今回は根こそぎ抜こうかとやってみたが、一本抜くのにかなり時間がかかった。
よって、今回も根から抜かず、鎌で刈ることにした。
刈った草は一か所にまとめていたが、あまりにも高い山になってしまったため
残りの草は刈った場所に置いた。そして終了。
1年前のやり方と比べ、土は見えず、草の丈だけ低くなり、まあまあさっぱりした印象。

根こそぎではなく、刈る方法に変えた理由は
根こそぎ抜くと土の密度が高くなり、土が固くなるという情報を得たから。
そして、今回もその方法を採用した理由は、無理をせず、ゆっくりやってみようと思ったから。

今まで私は草と戦っていた。文字通り、戦っていた。

草が根を張って踏ん張っているところを、力任せに抜く、抜く、そして抜く。
結果、熱中症ぎりぎりの状態になり、ふらふらしながら家にかけこみ、扇風機の前で動けなくなっていた。
今回はというと、30度近い温度ではあったが、2時間休み休み行った。終わった後はそこまで疲れは感じなかった。

7月初旬から引き受けた厄介事、英語読解コースの講師を終えた後
気づいたことがある。

戦いの人生はもうやめよう。

会社や国のお金で研修に参加した人たちに英語を教えるのが企業英語講師。
当然、やる気のある生徒さんもいれば、大して英語に興味がないのに参加している生徒さんもいる。
英語習得に知性は関係ない、時間をかけて適切なトレーニングを行えば誰でも上達する。
やる気のない生徒さん達にも、せっかくのご縁だからと
私は金八先生よろしく、一人一人の生徒さんに愛情を傾け、熱く教えていた。
そうやって15年、英語講師としてやってきた。
しかし、今回抑え込んできた違和感が噴出し、「もう嫌だ!」となってしまった。
嫌で嫌で、発狂寸前になり、やめさせてもらおうと本気で考えた。
たった、10回のレッスンなのに。

何が嫌だったのか。

これといった理由は見つからなかったが
恐らく、自分のエネルギーの使い方が間違っていることにようやく気付いたからだと思う

もっと、私を必要としている人にそのエネルギーを使いたいと思った。
必要としていない人に、こちらの英語熱を伝えてわかってもらおうとする
つまり一部のやる気のない生徒さんたちを無理やり
こちらの意図に合うように変えようとする戦いに猛烈な虚しさを覚えたのだ。
私のやっていたことは、私の存在をすべての人に認められなきゃ気がすまない
なんとも傲慢なことだった。

草とりにも通じる哲学だと思う。
相手が根を張って頑張っているなら、戦いを挑んでこちらの思い通りにするのではなく
こちらは今は刈るだけにし、もう少し涼しくなったら考えよう。

 

英語読解コースを無事最後までやりきった。
事務局にはお願いして、今後英語のグループレッスンは辞退させてもらうことになった。
奇跡的に個人レッスンがあれば紹介してください、とお願いした。
そして今後私は、余ったエネルギーをスピーチ塾に費やすことにした。

2023年8月

 

草取りのその後

戦わない草取り方法を行い、その後気温が下がり、秋になり、冬になった。

草はどうなったか。

枯れた。

枯れた茎や葉がだらしなく土の上に横たわった。
根こそぎ抜けば土の密度が高くなり、土が固くなる、と前回書いたが
試しに抜いてみた。

難なく抜けた。

ふふふ
これまでの11年の私のムダな抵抗を笑った。

草は根こそぎ抜かなければいけないという思い込み。
当たり前になっていたマイルール。
心の中で根を張りふんばって定着していたそのこだわり。

11年の思いを断ち切り
新たな方法にチャレンジする時には勇気がいった。
終わった後、中途半端に草が残っている光景を見るのは気持ちの悪いものだった。
でも、あえてそのままにした。
そして草の繁殖期は過ぎ
猛暑は終わった。

涼しくなった11月
一本、一束と抜き
枯草の山ができた。
これまではその上に土をかぶせ堆肥にしていたがそれもやめ
ごみ袋に入れ、市の指定日に捨てた。

今は庭が整然としている。

こだわりとは、いい意味ではその人らしさをつくっているものだと思う。
でも、50を過ぎて、今まで固執してきたものたちのいくつかに
窮屈さを感じるようになってきた。
一匹オオカミでプライド高く自分のやり方を貫くというあり方から
周りと調和する生き方に変わってきたように思う。
これが老いるということか。

これからは平穏な暮らしが続く・・・
随分楽になった・・・
としみじみしていたら
またしても新たな試練が待っていた。

人生って・・・

 

次に続く

2023年12月


 



 

一つのメッセージにつき一つの言い方で

 

やっと終わった。


プラクティショナーコース→マスターコースへと進み、なんとか修了したiWAM。

マスターでは私含めて3人受講していたが、他の男性受講者は楽しそうにやっているのに
私は顔をしかめてばかりいたように思える。

言葉を扱うから楽しそうと思って受講してみたのに
マスターで待ち受けていたのは、苦手なデータの読み取り。
そして、得意と思っていた言葉もiWAMの世界ではうまく使えないで苦しかった。

英語と日本語のいったりきたりを繰り返してきて30年。
一つのメッセージを聞き手に理解してもらうのに、次々に言葉を言い換えて伝えるクセがついていた。
言葉巧みに話すことが心地よい、私ってすごい、とこれまで思ってきたが、iWAMの世界に入り、その思い込みにメスがはいった。

講師から

一つのメッセージにつき一つの言い方で

言われ 

「・・・」

頭では理解したつもりでも、潜在意識は大抵抗をする。
トライして成功したのもつかの間、次にはクセが優勢になり、つい言い換えている自分がいる。
そして指摘され、へこみ、またつい言葉を言い換えて、また指摘される。

この状況をどう改善しようかと頭を悩ました末、自分のアレンジは加えず
マニュアル通り、完璧に暗記し、暗記したとおりに実践することにした。
すると、仲間から

「よかった~、違和感なく言葉がすーっと入ってきて、自分に集中できた」

と言われた。

そんな短時間で潜在意識は変わらず、せっかくお褒めの言葉をいただいても完全にマスターしたわけではないので気持ちは
モヤモヤ。

その後、なんとか数々の試験に合格し、マスター資格を取得。


きつすぎる講座だったが、大きな学びになった。

世の中にはいろいろなタイプの人間がいることは、これまでの脳科学・心理学の学びでさんざん学んできた。
わかったつもりでいたが、人に情報を伝えるという状況においては、ちっともわかっていなかった。
いろいろなタイプの人間がいるということは、聞き方も人によっていろいろ。

一つのメッセージにつき一つの言い方」 

あまりいろいろな言葉を使うと、聞き手は混乱する。

これを体得するにはもう少し時間がかかりそうだが、トライし続けていくしかない。

 

2023年12月

 

 


 

詳細型の弊害

iWAMの世界では「詳細型」と「全体型」の認識スタイルがある。


人が情報を入手するとき、事細かく理解し、事細かく説明しないと気が済まないのが「詳細型」。
一方、大枠で、ざっくり把握し、ざっくり説明するのが「全体型」。

 

私は詳細型だ。


30年以上、英語に携わってきた。
英語を学んで、人に教えるという行為は、まさに詳細型。
一文一文虫眼鏡で見るように分解し、細かく把握してきた。

 

認識スタイルは人間の成長過程でいつ発生するものなのかiWAM講師に聞いたところ、「わからない」という答えがかえってきた。
だから私の場合、元々潜在意識に詳細型の要素があって、英語に取り組もうと思ったのか、
英語を学んでいるうちに詳細型になったのかはわからない。

 

詳細型は全体型の言っていることがざっくりすぎてよくわからない。

全体型にとっては詳細型の説明は細かすぎてうざい。

だから時に、詳細型 vs 全体型 の戦いが繰り広げられることになる。

私(詳細型) vs  弟(全体型)

親切心で、道順を詳しく説明しているのに、「あ~、あ~」と真剣に聞いているようには思えない弟。
この時は弟にとても腹が立った。しかしその後、弟が全体型ということがわかり、納得。


詳細型で生涯とおそうと思っていた私だったが、全体型を試さざるをえない局面が訪れた。

ある日、カナダ国籍の夫の健康保険を入手しようと市役所に向かった。
受付に着くと早速私は、夫が日本に上陸してからそれまでの壮大な物語を事細かく語り始めた。
聞き手の職員はというと、きびしい表情で下を向き、こちらと目も合わせない。

そうするとこちらだって気持ちよく話せない。
ええい!戦略変更! 
学習した全体型でいってみよう!

「要は、健康保険がほしいんです!」

「わかりました」とその女性。

目の前で状況がどんどん動いていく。

これにはびっくりした。

全体型の世界、すげー!

今までの詳細型の労力はなんだったのか、と拍子抜けした。

以来、必要なときには全体型をトライしている。
気持ち悪さは残るが、全体型の素晴らしさも知ってしまった以上
詳細型だけの世界には戻れなくなってしまった。

2024年3月

 

噴火プログラミング(脳科学)

 

小学生の子どもをもつ親は子供の成長に合わせ、半年に1度くらいは小学校用品を扱う店にお世話になる。

上履き、名札、体操着、帽子、水着・・・


しかしながら、たまにしか顔を合わせないこのお店の店員と私はまったくもってそりが合わなかった。

毎回行くと、そのおばちゃん店員は近所のおばちゃん友達とレジで話をしている。
私と息子以外は客はいない。
私たちは目当てのものを見つけるため、慣れない店内を歩き回る。
するとおばちゃんが我々のところまでやってくる。
「上履きを探しているんですが・・・」
「上履きはここよ!」とキツイ口調で案内するおばちゃん。
「試しに履くことはできますか」
「いいよ」
「サンプルはどこですか」陳列されてある商品のサイズを確認しながら聞く私。
「サンプルはそれじゃない、これよ!」またしてもキツイ口調。
ここで私は我慢が限界点に達し、噴火!
「慣れていないんだから、これと言われてもわかりませんよ!」

そしてその後その店に何を買いに行っても、行くたびに私が噴火して店を後にするという決まった流れになった。
二度、三度同じことを繰り返すと、いい大人なのに何をやっているのだろうと自分の幼さを感じ
なんとか改善できないかと頭をひねってみた。
とりあえずNLPで学習したように、流れに変化を加えることにした。
入口で一度深呼吸してみた。そして今日こそは穏やかにいく、と心に誓って敷居をまたいだ。
しかし、結果は同じだった。


ある日も入口でルーティーンをし、店に入った。
今日こそはどうか噴火しませんように。
一つ一つのステップを慎重に踏みゴールのレジにたどりついた。
「たまったポイントは現金に換算し、今回の支払いにあてますね」とおばちゃん。
「!? (やさしい!)あ、ありがとうございます」
無事終了。

なんだ?

数日後、学校よりアナウンスがあった。
用品店がまもなく閉店し、今後は他社がひきつぎ商品はインターネット販売になる、と。


ああ、もうあのおばちゃんとバトルをしなくていいのかぁ・・・


もうすぐ新学期を迎える3月。子供の上履きがボロボロ。
用品店は5月まではやっていると息子が言っていたので、送料もかからないしと思い、行ってみた。
今日はおばちゃんだけだった。


「上履きがほしいんですが」
「今3種類あるよ」
「あのぉ、近くのスーパーで1000円くらいで買えるものじゃだめなんですかねぇ」と言うと
「あのね~、安いのはダメ。お子さんの大切な足でしょ。学校側も考えてこのデザインにしているの!」と相変わらずキツイ口調。
噴火スイッチが入りそうだったが、今回は意図的に(意図できたことが我ながらすごい!)スイッチオフにして低姿勢で
「すみません!」と言ってみた。そして、さらに低姿勢で
「安いのとこれらと何が違うんですか」と聞いてみた。
すると口調は相変わらずキツかったが丁寧に教えてくれた。

不思議なのは今回初めて、そしてやっとおばちゃんの客に対する愛を感じることができたことだ。

レジで、閉店になることは残念だと伝えるとおばちゃんは、
年齢的にこれ以上経営を続けるのは難しいと切々と語ってくれた。
もっと早くこのおばちゃんの良さに気づけなかったものかと反省した。
でも無理だった。
私の噴火プログラムはとても正確で、そのプログラミングに変化を加えるには
私自身の心の成長が必要だった。

人間、生きているうちは心はずーっと成長し続ける。
自分が変われば、目の前の現実も変わる。
3年経っ
てようやくおばちゃんの印象が私の中で変わり、私自身の心もほっこりした。


噴火するのは疲れるので、これで最後にしたいものだなぁ。

2024年4月

 

フィードバックを健全に受け取る


 

現在、NLPのマスタープラクティショナー コースを受講している。

 

スピーチ塾のためという目的で受けてみたのに

結局自分のあり方を探ることになっている。

プラクティショナーコースとマスターコースの違いの一つとして気付いたのは
マスターコースでは仲間から自分に対してネガティブなフィードバックも受ける機会があることだ。

スピーチ塾に入ったわけではないのに
毎回2分のスピーチをさせられ
仲間からフィードバックを受ける。
スピーチ塾を運営している私にとっては
とてもラッキーなことだったが、自分のネガティブな部分に
向き合うことはなかなかきついもの
もある。


「怖い」、「やっつけ」 
 

ある日の講座ではこのように言われた。

「怖い」は自分でも自覚があったため、すんなり受け入れられた。
「やっつけ」に関してはかなり心にひっかかった。
私としては内容をよくよく考えた後話し、「やっつけ」でやっている意識はなかったからだ。

 

なぜ彼は私に「やっつけ」と言ったのか・・・
 

考えていくうちに、前にも似たようなことを言われたことを思い出した。

「話し方が雑で違和感」


以前セミナーに登壇した時、受講生の一人からいただいた感想だ。

 

NLPマスターコースで
「怖い」と言われた時に、別の人からは
「明るい」、「おもしろい」とも言われた。
「やっつけ」と言われた時には、別の人から
「エネルギッシュ」「パワフル」「豪快」とも言われた。
セミナーで
「雑」と言われた時も
「言葉がたくみ」「ためになった」とも言われた。


物も人も中立。
同じ現象なのに世の中には
それをポジティブにとる人もいれば、ネガティブにとる人もいる。

「何かを表現したとき、世の中からフィフティーフィフティー50/50(ポジティブ50、ネガティブ50)の
反応をもらえれば、それは良い結果」と昔テレビ局にいた時プロデューサーに言われた。

NLP的に解釈すると、私に対して「怖い」と言った人は、その人の中の「怖さ」を感じるフィルターが
私を見て、私の言うことを聞いて、感じて、働き
「やっつけ」と言った人はその人の心の中に「やっつけ」があり
そこが反応したわけである。
ということは逆に、人の私に対するフィードバックを私がどう捉えるかも私次第なのだが
「想いを広く多くの人に伝える」ということをこの世の使命と感じている私のフィルターを通すと
私に対してネガティブに感じる人も味方につけて、その方たちにも想いを届けたい。
だからネガティブな意見も健全に受け取って対策をうたなければと思った。

「怖い」、「やっつけ」、「雑」
どうしてそこのような印象が伝わるか考えた。

3点浮かんできた。


まずは、声。
昔から通りすぎる。その上ボリュームがある。要するに声がでかくてよく通ってしまう。

そしてIWAM(アイワム)の試験結果によると
私は権力重視の意識が高い。
なんでも自分でコントロールしないと気が済まない。

さらに、自分の発しているエネルギーが強い。


これらは自分では普通と思っている。
誰にも迷惑をかけていないと思い、押し通してきた。
しかし、声、権力重視、エネルギーをそのまま出すと
強すぎると思う人がいることがわかった。
「やっつけ」や「雑」に感じる人がいることもわかった。

他人が認識している「私」と自分が意識している「自分」の間で差がある。


この差があることに気付かずに生きている人
つまり、自分が言っている、やっていることが絶対に正しいと思って生きている人を「残念な人」と
自分ブランド革命プロジェクトのトレーナーが言っていた。


他人が認識している「私」と自分が意識している「自分」の間には差がある。

このギャップを埋めるには

他人が認識している「私」を他人に言ってもらって、その指摘を私が健全に受け取るしかない。


人からのフィードバックを健全に受け取る。

スピーチメンタルトレーナーとして
人にスピーチ術を教えるだけではなく
自分自身のスピーチを確立することも重要。
ここからは自分の潜在意識との闘いだ。
いかに安全領域を出て、もっと広い世界に勇気をもって飛び込めるか。

マスター最終日には10分のプレゼンが待っている。

人前で話すときに、エネルギーを出す部分と
出さない部分をコントロールする。


試練だな~


 

2024年8月

根本治療

 

顔が歪んでいることに気付いたのは、録画した自分のスピーチ姿を見たときだった。


右唇が下がっている

 

すると、右唇ばかり気になって内容が入ってこない。



まさにメラビアンの法則。


メラビアンの法則とは

人が人とコミュニケーションをとる際

言語情報、聴覚情報、視覚情報がそれぞれ

7%、38%、55%の割合で

相手に影響を与えるという心理法則である。

 

整体院に行った。

ボキボキされることを想像していたが、ボキボキは一切なく

さすったりちょっと押したりを繰り返し

その都度鏡で理想と現状のギャップを見せられ

歪みがどこからきているのか丁寧に説明された。

 

「皆さん、肩こりだったら肩をマッサージし

腰痛だったら腰をマッサージするのですが

根本的な原因を解決しない限りは解決しないんですよ。

雨漏りしているのに床の掃除ばかりしていても

なんの解決にもならないんです」

 

なるほど、比喩表現か。

比喩表現は、わかりにくい内容を聞き手にわかりやすいものにする。

プラス

比喩表現を使うと話し手の言いたいことが聞き手の潜在意識にまで入っていくので

聞き手に拒絶の余地を与えない。

聞き手が無意識に納得してしまう手法である。

 

先生はその後も立て板に水のごとく(比喩)

説明を続けた。

こちらが一言聞くと十くらいの勢いで返してくれる。

整体師を27年やっているそうだが、その経験からくる知識は圧巻だった。


そして2時間後には
 

「右側の骨盤が前に出ています。鏡を見て今どうですか。

始める前と比べて

両肩の位置が変わりましたね(Yes!)

今右肩痛くないですね(Yes!) 

目の大きさ変わりましたね(Yes!)

右頬のふくらみが消えてスッキリしましたね(Yes!)

根本治療をしてみませんか(Yes!)

いつやるんですか?」

 

「今でしょ!」
こぶしをふりあげていた。


まるでどこぞの国のカリスマリーダーと
その演説に雄たけびを上げる国民。


なんの抵抗もなく10回コースに申し込んでしまった。

 

「根本治療」

 

これはスピーチについて考えるとき
まずは自分の心を見直そうという私の考えと一致していた。

 

自分のスピーチの違和感を払拭するためには

ただ場数を踏めばいいというものではなく

ただテクニックを身につければいいというものでもない。

何らかの心理的根本原因を取り除かない限りは
スピーチへの違和感はずっと続く。

 

施術後

体が軽くなってスッキリした。


心はというと
巧みな比喩表現と怒涛のYesセットトークに圧倒され

複雑だった。

これから3か月、体がどう変化していくか
そして先生の更なる爆裂トークが
楽しみだ。

 

2024年9月

 

思考の旅 

 

整骨院2回目。

雑談の中で、ピアノや英語の話になった。

「アスラーさん、ピアノ弾けて、英語やってきたんですね。
 じゃ、この人(有名なアーティスト)聞いてみてください。
 独学でピアノと英語を習得したそうで
 イケメンで天才です。
 動画URL送りますね」

整骨院を後にしてから1時間後にURLが送られてきた。

早速聞いてみた。

「・・・」

違和感しかない。

いや、たまたまだ。別のも見てみよう。

「・・・」

 

動画を観れば観るほど嫌いになっていく。
1時間観た後は、生理的に嫌いになっていた。
もう二度と観たくない。

アーティストのことを大絶賛していた整骨院の先生に「ダメでした」と言うのも気が引け、

かといってせっかく送っていただいたのに既読スルーも失礼だと思い
「テクニックばかり磨いてきた私にはレベルが高すぎて理解できませんでした」
とやんわり返信した。


しかし心が晴れない。

この嫌悪感は何なのか・・・

口直しならぬ、耳直し、目直しに
大好きなジャズピアニスト、上原ひろみの動画を久しぶりに観てみた。

鳥肌が立った。
彼女の超絶早弾き技巧に釘付けだった。
1回では飽き足らず
その後何度となく繰り返し観た(手の動きを)、聞いた(透き通った音を)。
毎回心が震えた。

心が震える=感動

 

感動するとはどういうことか調べると
「期待を超える」
というものがでてきた。


上原ひろみはいつ観ても聞いても期待を超える。


イケメンアーティストはどうだったか。

期待を超えるどころか
期待を裏切られた。

英語の曲をカバーしている映像を観たが
まるで英語が聞き取れなかった。
カバーするなら英語の発音をもっと大事にしようよ。
確かに曲の世界観に合わせて
会話ではしないような発音で歌うネイティブもいる。
しかし言葉として聞こえる。
基本の発音ができているからだ。
当たり前だ。
原形がないほど崩されたらメッセージが誰にも伝わらない。
それは自己満足の世界。

イケメンアーティストのピアノに関しても期待は越えなかった。
独学にしてはすごいと思ったが
世の中に出れば上には上がいる。
プロの世界は厳しい。
聞き手は、その人が独学だからという理由で
感動するのではない。

ここまでがっかりさせられると
顔だってイケメンには見えなくなる。
逆もありで、その人がものすごく秀でたものをもっていると
顔だってイケメンに見えてくる。


私の何がイケメンアーティストに対してここまでネガティブに反応しているのか。


感情を動かしているのは
突き詰めれば、ビリーフ(思い込み)だ。

あっ。

私が人生かけて頑張ってきたことを否定されたように
私が勝手に感じているからだ。
これは以前、「英語について」のブログで「ネイティブって一体」
でも書いている。
またしてもこれにひっかかるとは。

幼少期、そして若い時期に打ち込んだことは
その後の人生に多大なる影響を与える。

私は5歳から15歳までピアノ教室に通い
家では毎日ピアノを練習してきた。
15歳でショパンの「幻想即興曲」を弾けるようになり
ショパンの「革命」もなんとか弾けるようになった。

英語学習は大学受験勉強から始め
大学入学後も必死で勉強し
留学もし、アメリカで1年就労後帰国。
通訳、通訳ガイド、英語講師をやってきた。

この経験で得たビリーフがアーティストにネガティブに反応し
もう二度と観ないという行動につながっている。

 

やっと胸のつかえがおりた。


おまけとして
ポジティブな気付きもあった。

 

スピーチや今後の人生を考えるにあたり
これまでピアノや英語で培った自分のあり方を変えようかと思っていた。

もう歳だし詳細型はエネルギー使うしムリ!
これからはエネルギーをあまり使わない全体型で行こう!

そして全体型とは何ぞやと考え始めたとき

全体型はひょっとしたら私にはわからないもっと奥深い世界なのではないか
と気になりだした。
本当にエネルギーを使わないのか。

詳細型の私に全体型は「ざっくり要点だけ把握している」ようにしか見えない。
しかし何十年と全体型で生きている人たちは
果たしてそういった世界で生きているのだろうか。

詳細型の人間にはわからない何かがあるのではないか。

行き詰っていた。

そんな時に、人からこれどうですかと言われて
時間をかけて分析する自分がいた。
さらにこれまでに得た膨大で詳細な知識と経験を使って
比較検証をし
徹底的に思考している自分がいた。
実に自然だった。

そうか、これが私なんだ。
このあり方でいいんだ。


有名なイケメンアーティストは
私には理解できない作曲性だとか個性だとか
何かで評価されているのだろう。

そう、私には理解できない何かで。
私の中(ビリーフ)にはない何かで。


とりあえず
全体型は意識するけれども
詳細やっぱりオッケーとなった。
それを確認できただけでも
大収穫の思考の旅だった。

整骨院の先生、ありがとう。

2024年9月