受付時間 10:00~19:00(土日を除く)
コーチング知識と技術を習得する間、私の心の中で何が起こったのかを述べたいと思います。
幸せな幼少期を過ごしました。
衣食住何不自由なく両親が与えてくれ、習い事も自由にさせてもらいました。親は大学受験に失敗したときは浪人までさせてくれて、合格後は大学卒業まで学費を払ってくれました。
その後は「コーチご挨拶」で述べたとおり、英語コツコツガツガツ人生でした。
いつも目標を掲げ、目標達成まで歯を食いしばって頑張る。そして掲げた目標はすべて達成。
それが当たり前だと思っていました。
人はそうやって生きていくもの、生きていくべきだと思っていました。
それが違う?
と考えさせられたのが「自分ブランド革命プロジェクト」に参加していたときでした。48歳の時です。
え?私の、人はそうあるべきだという思いは、私だけの思い込み?信念? なんじゃそれ!
「思い込みは人によって違う」
「人の思い込みは12歳までに形成され、それ以降、人は思い込みの強化活動に入る」
「人は思い込みのメガネで世界をみている」(自分ブランド革命プロジェクトより)
プロジェクトに参加するとすぐに壁が立ちはだかりました。
第1の壁:フェイスブックで意見を言うことへの大抵抗!
コーチング技術さえ習得できればいいのに、なぜ独り言を公開しなければならない!ばかばかしい。私には必要ない。
そうこうしているうちに次第に、フェイスブックに名前を名乗るだけでもいい、みんな参加しようよという声が上がり始めました。
うるさいな~・・・
するとトレーナーが講座のなかで、「人の在り方にはいくつかある。一つ目は傍観者、二つ目は・・・」
ぎくーっ・・・傍観者とは私のこと!
わかりました。仕方ない、やってみるかぁ・・・
フェイスブックで初めて、自分の名前と、プロジェクトに参加している理由(コーチング技術を習得したい)、
おまけとして息子にもコーチングめいたことをしたら怒らなくてすむようになり、実に省エネ!という報告をしてみました。
すると何人かから反応が。
「へ~、息子さんに~! しかもコーチングって省エネなんですか~!」
不思議な感じでした。自分の独り言に人が反応してくれている。
すると今度は「課題図書が多すぎて期限内に最後まで読めそうにありません」という声が上がり始めました。
ふーん・・・
また傍観者でいようと思いました。
すると心の声。
「書け!」
ええええ~ なんで~?
潜在意識と顕在意識のせめぎあい。
結局、潜在意識の声に負けて、また渋々重い腰をあげ、「読書について」書いてみました。
「読書は慣れです。時間をかければ自分なりの読み方ができます。
私は英語講師なので、英語学習者の例をあげます。英語に慣れていない初級英語学習者はすべて全力で行うためすぐに息切れ。
でも上級者は要領よく理解していく。わかっているところにはムダにエネルギーを使わない。
その分、使うべきところにエネルギーを使う。だから疲れない・・・これと似ていると思います。
読書してこなかった人がいきなり読書の達人になろうと思ってもなれません。
提案として、まずは太字だけ読んでみるというのはどうでしょうか・・・」
これはかなりの反響でした。
「ありがとう!」「はい、由美子さんの言ったことをここでまとめます」などなど
プロジェクトが提唱する「枠越え」の瞬間でした。
勇気を振り絞って心の安全領域から出た結果、待っていたのは恐ろしい現実ではなく、明るく楽しいものでした。
さらに、書くことで、自分の中からの意外な声を聞くことができました。意識したことのない声、つまり無意識の声。
第2の壁:メンバーに「まくしたて」「マシンガントーク」と言われ、勉強会にしばらく不参加
早口で自分の主張を述べる、いいじゃないか、みんなの貴重な時間をとらないんだから!
なぜそんな風に言われなければいけない!いじめか!
グループが大きすぎて、まるで小学校!うんざり!
でもここでも考えさせられました。過去を遡ってみると、なるほど早口で語らないと安心できない理由がありました。
小学校低学年のときに、ゆっくり話していたら親友につまらなそうな態度をとられ、話を最後まで聞いてもらえませんでした。
ここで早く話さなければだめなんだいう思い込みが成立。以降、早口で話すことに心地よさを感じ、強化活動邁進。
グループが大きすぎた問題については、NLPの学びで気づきました。
私は全体型ではなく、詳細型でした。話は詳細に話したい。交友関係は狭く、深く、それが心地いい。
壁のあとに待っていたのは大革命!
知人とファーストセッションを行っていたところ、どうもスムーズに進まない。
相手が私の言うことを聞かない。「頭で考えないで、思いついたまま言ってください」と言ってもじっくり考えている。
そしてしまいには、あらぬ方向を見始める知人。あきらかに飽きている様子でした。
最後に商品を説明したところ、当然「必要ありません!」とピシャリと言われ、終了。
セッション後いろいろ考えました。一体あれは何だったのか。何がいけなかったのか。
しかし理屈よりも前に、居心地の悪い感情が先行して、答えになかなかたどり着けませんでした。
これは思い切って聞くしかない!
相手の方にメールで、「本当は~だったんじゃないんですか?」など、いくつか質問を投げかけたところ
返ってきた答えは
「いいえ、あれで合っていました」「いいえ、あれで正しかったです」
こちらの意見を全部否定する内容でした。
ショックでした。いったんメールを閉じて、遠くを眺めてみました。そしてまたぐるぐる考えを巡らしました。
すると突然
ああああああ・・・
これぜんぶ私だ!
人は自分の鑑
自分の中にあるから相手の中のそれに気づく。
自分の中にないものはたとえ相手の中にあっても絶対気づかない。(自分ブランド革命プロジェクトより)
自分がいつでも正しい。
人には自分の正しさを証明しないと気が済まない。
自分にNOを突き付ける人とは付き合わない。
人の粗探しをして自分をその人よりも上に置かないと気が済まない。
自分が上にならないのならその人とは付き合わない。
自分のこれまでの思い込みが見えた瞬間でした。
そして
思い込み完全消滅。
何十年もしがみついてきた思い込みが
いつも一緒で当たり前すぎて意識すらしたことがなかった信念が
なくなっちゃった。
なんだこれ?
シーン・・・
まずい。大切なものまで失くなってしまったか!
・・・
うん? 軽い・・・
軽い!軽いぞ~~~~!
そして数日後
私にとって最初のクライアント様になる方とのファーストセッション。
スムーズでした。相手の方はこちらの指示に素直に従ってくださいました。信頼関係ができていることを感じました。
最後に、商品の良さについて熱弁。無我夢中でした。
「やります!」
え?
あまりにも熱くなりすぎて、最初は何が起こったのかわかりませんでした。
「やります!」
あ、ああそうですか。
お、おめでとうございます!!!
契約の運びになりました。一体何が起こったのでしょうか。
理由の一つとして、この方への私の見方がまったく変わったからというのは断言できます。
ファーストセッション前は、私はこの方に対して緊張をしていました。
すでにビジネスで独立され、成功。順風満帆の人生を歩まれていました。
雇われの私からしたら未知の世界で、すごい!という畏怖の念しかありませんでした。
完全に安全領域の外の人。
それが、信念消滅後は、この方が愛に溢れた方に見えました。
これまでの畏怖や緊張の思いはどこかへ消えていました。
信念が崩壊し、空っぽの心に入ってきたもの
それは 愛 でした。
私に愛があるから、その方の愛に気付けた。
信念が変われば、感情が変わり、行動が変わり、成果を達成できる(自分ブランド革命プロジェクトより)
目の前の現実は自分の信念メガネで見ているもの。
信念メガネがバージョンアップすれば、現実もバージョンアップする。
現実をバージョンアップさせたければ、信念を変える。
これまで自分の中に愛があるなんて考えたことはありませんでした。それがひょっこり出てきました。
その後、感情が変わり、行動も変わってきているのを実感しています。
成果は、ここでこれを書けていること。以前の私だったらありえませんでした。
50歳を目前にして、たどり着けた境地。
今、明るく、賑やかで、軽くて、温かい気持ちに満たされています。
コーチングの世界に終わりはありません。
多くのクライアント様と接することでコーチ自身が成長していきます。
これからどのような出会いがあるのか、今後のご縁にワクワクしています。
おまけ:心の状態が良いからか、最近シンクロが頻繁に起こります。
これ○○さんに聞こうかなと思ったら、翌日に○○さん本人から電話をもらったり、
そろそろ姪の高校入試の結果が出るころかな、私のときは3月6日だったなあ、と思って実家に帰ると
「今日合格したんだって」と言われたりとか・・・
人生の転換点(精神的に成長するとき)に何が起きるのか。
2023年8月
仕事がなくゆったりすると、心もゆったりしてきて、いろいろな気づきを得ることができる。
今日も猛暑になると天気予報で聞いていたが、庭がくさむらになってきたので草取りを決行。
2時間、滝のような汗を流しながら草と向き合ってみた。
家を建てて11年。11年間草と格闘してきた。
そして今年は草取りのやり方を変えた。
根から抜かず、地上1センチくらいのところから鎌で刈るようにした。
すると、以前よりも早く草ぼうぼうになった。
今回は根こそぎ抜こうかとやってみたが、一本抜くのにかなり時間がかかった。
よって、今回も根から抜かず、鎌で刈ることにした。
刈った草は一か所にまとめていたが、あまりにも高い山になってしまったため
残りの草は刈った場所に置いた。そして終了。
1年前のやり方と比べ、土は見えず、草の丈だけ低くなり、まあまあさっぱりした印象。
根こそぎではなく、刈る方法に変えた理由は
根こそぎ抜くと土の密度が高くなり、土が固くなるという情報を得たから。
そして、今回もその方法を採用した理由は、無理をせず、ゆっくりやってみようと思ったから。
今まで私は草と戦っていた。文字通り、戦っていた。
草が根を張って踏ん張っているところを、力任せに抜く、抜く、そして抜く。
結果、熱中症ぎりぎりの状態になり、ふらふらしながら家にかけこみ、扇風機の前で動けなくなっていた。
今回はというと、30度近い温度ではあったが、2時間休み休み行った。終わった後はそこまで疲れは感じなかった。
7月初旬から引き受けた厄介事、英語読解コースの講師を終えた後
気づいたことがある。
戦いの人生はもうやめよう。
会社や国のお金で研修に参加した人たちに英語を教えるのが企業英語講師。
当然、やる気のある生徒さんもいれば、大して英語に興味がないのに参加している生徒さんもいる。
英語習得に知性は関係ない、時間をかけて適切なトレーニングを行えば誰でも上達する。
やる気のない生徒さん達にも、せっかくのご縁だからと
私は金八先生よろしく、一人一人の生徒さんに愛情を傾け、熱く教えていた。
そうやって15年、英語講師としてやってきた。
しかし、今回抑え込んできた違和感が噴出し、「もう嫌だ!」となってしまった。
嫌で嫌で、発狂寸前になり、やめさせてもらおうと本気で考えた。
たった、10回のレッスンなのに。
何が嫌だったのか。
これといった理由は見つからなかったが
恐らく、自分のエネルギーの使い方が間違っていることにようやく気付いたからだと思う。
もっと、私を必要としている人にそのエネルギーを使いたいと思った。
必要としていない人に、こちらの英語熱を伝えてわかってもらおうとする
つまり一部のやる気のない生徒さんたちを無理やり
こちらの意図に合うように変えようとする戦いに猛烈な虚しさを覚えたのだ。
私のやっていたことは、私の存在をすべての人に認められなきゃ気がすまない
なんとも傲慢なことだった。
草とりにも通じる哲学だと思う。
相手が根を張って頑張っているなら、戦いを挑んでこちらの思い通りにするのではなく
こちらは今は刈るだけにし、もう少し涼しくなったら考えよう。
英語読解コースを無事最後までやりきった。
事務局にはお願いして、今後英語のグループレッスンは辞退させてもらうことになった。
奇跡的に個人レッスンがあれば紹介してください、とお願いした。
そして今後私は、余ったエネルギーをスピーチ塾に費やすことにした。
2023年8月
戦わない草取り方法を行い、その後気温が下がり、秋になり、冬になった。
草はどうなったか。
枯れた。
枯れた茎や葉がだらしなく土の上に横たわった。
根こそぎ抜けば土の密度が高くなり、土が固くなる、と前回書いたが
試しに抜いてみた。
難なく抜けた。
ふふふ
これまでの11年の私のムダな抵抗を笑った。
草は根こそぎ抜かなければいけないという思い込み。
当たり前になっていたマイルール。
心の中で根を張りふんばって定着していたそのこだわり。
11年の思いを断ち切り
新たな方法にチャレンジする時には勇気がいった。
終わった後、中途半端に草が残っている光景を見るのは気持ちの悪いものだった。
でも、あえてそのままにした。
そして草の繁殖期は過ぎ
猛暑は終わった。
涼しくなった11月
一本、一束と抜き
枯草の山ができた。
これまではその上に土をかぶせ堆肥にしていたがそれもやめ
ごみ袋に入れ、市の指定日に捨てた。
今は庭が整然としている。
こだわりとは、いい意味ではその人らしさをつくっているものだと思う。
でも、50を過ぎて、今まで固執してきたものたちのいくつかに
窮屈さを感じるようになってきた。
一匹オオカミでプライド高く自分のやり方を貫くというあり方から
周りと調和する生き方に変わってきたように思う。
これが老いるということか。
これからは平穏な暮らしが続く・・・
随分楽になった・・・
としみじみしていたら
またしても新たな試練が待っていた。
人生って・・・
次に続く
2023年12月
小学生の子どもをもつ親は子供の成長に合わせ、半年に1度くらいは小学校用品を扱う店にお世話になる。
上履き、名札、体操着、帽子、水着・・・
しかしながら、たまにしか顔を合わせないこのお店の店員と私はまったくもってそりが合わなかった。
毎回行くと、そのおばちゃん店員は近所のおばちゃん友達とレジで話をしている。
私と息子以外は客はいない。
私たちは目当てのものを見つけるため、慣れない店内を歩き回る。
するとおばちゃんが我々のところまでやってくる。
「上履きを探しているんですが・・・」
「上履きはここよ!」とキツイ口調で案内するおばちゃん。
「試しに履くことはできますか」
「いいよ」
「サンプルはどこですか」陳列されてある商品のサイズを確認しながら聞く私。
「サンプルはそれじゃない、これよ!」またしてもキツイ口調。
ここで私は我慢が限界点に達し、噴火!
「慣れていないんだから、これと言われてもわかりませんよ!」
そしてその後その店に何を買いに行っても、行くたびに私が噴火して店を後にするという決まった流れになった。
二度、三度同じことを繰り返すと、いい大人なのに何をやっているのだろうと自分の幼さを感じ
なんとか改善できないかと頭をひねってみた。
とりあえずNLPで学習したように、流れに変化を加えることにした。
入口で一度深呼吸してみた。そして今日こそは穏やかにいく、と心に誓って敷居をまたいだ。
しかし、結果は同じだった。
ある日も入口でルーティーンをし、店に入った。
今日こそはどうか噴火しませんように。
一つ一つのステップを慎重に踏みゴールのレジにたどりついた。
「たまったポイントは現金に換算し、今回の支払いにあてますね」とおばちゃん。
「!? (やさしい!)あ、ありがとうございます」
無事終了。
なんだ?
数日後、学校よりアナウンスがあった。
用品店がまもなく閉店し、今後は他社がひきつぎ商品はインターネット販売になる、と。
ああ、もうあのおばちゃんとバトルをしなくていいのかぁ・・・
もうすぐ新学期を迎える3月。子供の上履きがボロボロ。
用品店は5月まではやっていると息子が言っていたので、送料もかからないしと思い、行ってみた。
今日はおばちゃんだけだった。
「上履きがほしいんですが」
「今3種類あるよ」
「あのぉ、近くのスーパーで1000円くらいで買えるものじゃだめなんですかねぇ」と言うと
「あのね~、安いのはダメ。お子さんの大切な足でしょ。学校側も考えてこのデザインにしているの!」と相変わらずキツイ口調。
噴火スイッチが入りそうだったが、今回は意図的に(意図できたことが我ながらすごい!)スイッチオフにして低姿勢で
「すみません!」と言ってみた。そして、さらに低姿勢で
「安いのとこれらと何が違うんですか」と聞いてみた。
すると口調は相変わらずキツかったが丁寧に教えてくれた。
不思議なのは今回初めて、そしてやっとおばちゃんの客に対する愛を感じることができたことだ。
レジで、閉店になることは残念だと伝えるとおばちゃんは、
年齢的にこれ以上経営を続けるのは難しいと切々と語ってくれた。
もっと早くこのおばちゃんの良さに気づけなかったものかと反省した。
でも無理だった。
私の噴火プログラムはとても正確で、そのプログラミングに変化を加えるには
私自身の心の成長が必要だった。
人間、生きているうちは心はずーっと成長し続ける。
自分が変われば、目の前の現実も変わる。
3年経ってようやくおばちゃんの印象が私の中で変わり、私自身の心もほっこりした。
噴火するのは疲れるので、これで最後にしたいものだなぁ。
2024年4月
とうとう終了した。
長かった。
途中から出席するのがしんどくなったが
「修了証を絶対にもらう」
をモチベーションになんとか乗り切った。
しんどかった理由
1 トレーナーが怖い
講師としては大ベテラン。
しかし醸し出している雰囲気が怖い。
トレーナーご本人もその点は他者から指摘されて承知し
講座中は意識的に笑顔をつくっていると言っていた。
確かに笑顔は見られたし、冗談も頻繁にあり楽しかった。
しかしそれは前半のみで、後半に入って以降
私にはトレーナーが醸すピりつき感の方がまさり、しんどくなった。
2 トレーナーが全体型
時に説明がざっくりすぎて、詳細型の私にはわからない。
自分の知識・経験不足が原因だと思い、参考図書を読み
仲間との勉強会にも積極的に参加した。
そして講座中はトレーナーの話を一言一句逃さず聞いた。
それでもわからないので質問をしてみた。
1回目は真摯に答えていただいた。
同じ日に2回目の質問をした。
「さっきからテキストを読んでるんですよ!」
こう言われて、ショックだった。
詳細型の私は一言一句逃さず聞き、テキストを読み込み一生懸命理解しようとしていたのに。
読まずしてどう理解しろというのか。
もう二度と質問はしない、と誓ったのだが
次の回もどう考えてもわからない点があったので、怒られるのを覚悟で勇気をもって聞いてみた。
返ってきた答えは、またもや私にとってはざっくり。は~。
3 講座期間中「なぜしんどいのか」について悩んだ。
悩むこと4日間。
得た答えは、NLPの世界は私にとって全体型であり、別次元の世界。
そのように思うとトレーナーの言うこと、NLPの内容も納得いった。
半年間に及ぶNLPマスターコースがやっと終わった。
しんどかったが
得たものは大きかった。
特に話すことについて、ものすごく考えさせられた。
2024年10月
「桃栗三年柿八年」
柿が実をつけるには8年かかると思っていた。
苗をホームセンターで購入し、植えたのが新築した家が完成してから数か月後。
植えて2年目くらいに奇跡的に一つ実がなった。
おお、8年どころかすぐ実がついた♪と浮かれていたのもつかの間
翌年からいっこうに実がつかない。
葉ばかり茂り、枝は徒長するばかり。
茂った葉は10月になるとほろほろ落ち始め
11月には徒長した枝だけが残る。
葉は集めて、ごみ袋にいれ、ごみ収集日に出す。
徒長した枝ははしごに登り、のこぎりで切って
1メートル以上ある枝を
さらに小さくカットしてからゴミ袋へ。
これはかなりの重労働なのだが毎年自分でやる。
そんな作業が今年も待っていると
春、夏かけて成長した茎や葉を見てやれやれと思っていた。
一大事業のNLPのプレゼンが終わり
NLPマスターコース自体も同じ日に終わってから
いつものように生ごみをコンポストに捨てに行った。
道すがらなんとなく柿の木を見上げてみた。
すると
うん?
目を凝らす
うん??
まじー???
実がなっている。
嘘??
へえ~~~!
苗を植えてから13年目!
ついに実をつけた!
じつは10年目を過ぎてから
「この木は実をつけない」
と、信じ込むようになっていた。
木を切ってしまおうかとも思った。
秋の枝切りがしんどかったからだ。
でも夏にエアコンの室外機に影をおとしてくれるので
しんどいとはいえ、なんとなく毎年枝切りをし
冬を迎えていた。
それが実をつけた!
しかも10個も。
どうしたというのか。
13年間、葉と茎だけでがんばっていたではないか。
嬉しさから一転ちょっと残念な気持ちもわきあがってきた。
ああ、結局うちの柿の木は普通だったか。
「葉と茎ばかりのレアな柿の木」から
実をつけるおりこうさんの柿の木になってしまった。
なんかつまらない。
人間とはわがままなものだ。
「桃栗三年柿八年」のことわざについて調べてみると
柿は8年で実をつけますという意味ではなく
実をつけるのに長い年月がかかる、
転じて、「ひとかどの人物になるには努力が必要だ」という意味にもなるらしい。
ことわざには続きもある。
いくつかあるがそのうちの一つに
「桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年」がある。
柚子を庭に植えたときに、近所の農家の人が教えてくれた。
でも、うちの柚子は翌年から1つ、そしてその翌年には2つのように
確実に実績をあげている。
去年は20個くらい実をつけた。
大馬鹿ではない。
おりこうさんの柚子 vs 葉と茎だけの頑固な柿
私の中ではこういう図式が成り立ち
その図式が絶対的なものだと信じてきた。
しかし、人間の私が一番大馬鹿だったと気付かされた。
自然界には自然界の時間の流れがある。
人間界の常識でとらえられるものではない。
とりあえず、13年目に実った柿を堪能させていただきます。
2024年10月